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ありがとうございます
田中栄助む様こちらこそ、ご視聴、コメントありがとうございます。南無阿弥陀仏合掌高科修
師 高科修様早々のお言葉心よ感謝申し上げます自身で「受け止め、考え、向き合い、何が出来るか又どうするのか」と自問自答し「気づいていく」ことの大切さを心にとどめ日々暮らしていきます他の方の考え方、向き合い方などを聞くことで、その中から「気づくこと」・「得られること」が大変多くまた ありがたいことだととらえております このことも聞法とも感じておりますこのような思いでコメントさせていただきました今後も視聴させていただき自問自答してまいります南無阿弥陀仏 合掌 泉 賢治
泉賢治様ご視聴、コメントありがとうございます。『他の方の考え方、向き合い方などを聞くことで、その中から「気づくこと」・「得られること」が大変多く…』との泉賢治様のお言葉。他の方の話を聞く、聴いて他の方の考え方に触れる事で、ご自身が気づいていく事は、往々にしてあります。しかしながら、他の方の考え方、向き合い方などを尋ねる、伺いたいのであれば、まずは、ご自身の考え方を伝えた上で聞いてください。それが、他の方に対しての礼儀、礼節に、繋がってまいります。と、同時に…先ず自分が無ければ、自分が気づくことは不可能です。自分が無い気づき!…それを、世の中では、人真似!偽物!迎合!と呼びます。泉賢治様の最初のコメントも今回のコメントも、そこに、泉賢治様の問題に対して、どう向き合って、どうしてくのかが、ございません。つまり、泉賢治様ご自身のいないコメントです。あるのは、泉賢治様の感想です。泉賢治様の仰る聞法は、浄土真宗の聞法とはかけ離れております。浄土真宗の聞法は、泉賢治様がどのように生きていくのか、どのように生ききるのかを自問自答していくのです。その告白を聴いた上でないと、我々浄土真宗の僧侶は、お答えのしようがないのです。 ご認知いただだければ幸いです。南無阿弥陀仏合掌高科修
和顔愛語‥もう一度家で言ってみます🎉
みすず木村様ご視聴、コメントありがとうございます。和顔愛語…大切な『心根』であります。ただ……もっと大切なのは…和顔愛語の心根よりも…今!自分が『険顔憎語』の言葉を発しているのか…いないのか…を『気づける力』であります。この『気づき』が、自らを『和顔愛語』に導いてくれます。南無阿彌陀仏合掌高科修
アッハハやね。あっぱれですよねんbyeジンナマ
ジンナマ様ご視聴、コメントありがとうございます。「あっぱれ」なお話しを致したつもりはございませんが……あっぱれ とお感じ頂けたのだ…と受け取らせて頂きます。南無阿彌陀仏合掌高科修
泣きそう南無阿弥陀仏
村上 祥様ご視聴、コメントありがとうございます。泣きたい のならば泣けば良い。泣きそうならば泣いてしまえば良い。心が そう望むのならば、涙を流すことに遠慮はいりません。そして、ひとしきり泣いた後に…流した涙の『正体』を考えるのです。村上祥様が仰る『自分自身に問うています』とは、この行為をすることです。南無阿彌陀仏合掌高科修
今日も配信ありがとうございます!まさに、この事です。もう以前、自分の中では昔の事ですが、、、、、、立正安国論を学んでいた事がありました。その中で、阮籍逸才にして ほうとう さんたいす。 ドクアイハズカシメルコトヲモッテそれらの仲間をイケてる人達と呼び 礼節もって接する人を田舎 いなかもの と呼んだ。また、神を祀る儀式を河原で髪を振り乱しながら行なっている事を見て当時の知恵ある人が司馬氏の治国が終わる姿だと言った (礼節を国を治める根本原理としていた当時の国だったので、言葉使いも祭り事もそのことから外れた事から この国は100年に及ばない) とか記されていた事を思い出しました。門外の事で申し訳ないですが。この阮籍という名の当時のエリートのお方は、汚い言葉を仲間たちで使う事で自分たちをエリート イケてる と言い 丁寧な言葉 礼節もって接する人を田舎ものとバカにしたそうです。そして自分の親が亡くなった時、酒を何升だか飲みまくって泥酔していたとかいう方だったそうで昔習ったそんな事を フッと思い出しました。簡単にコ◯してやる とか ◯ね とか、自分も心も言葉も顔つきもそうなっていったのが、ウンザリで辞めたのですかね。険しい顔や、言葉が出てばかりの環境がもうたくさんだと思って。未だに改まるのは、遠い道のりかもしれませんが、土曜日は、自分の最初に住み始めたこの街のお寺に軍荼利さんが祀られているので荒々しい気持ちをなんとかしたいとか思いながらお参りしてきました。逆効果?かもしれませんが、しかしそこのお寺さんで、いろいろなものを見て聞いてみてくださいとアドバイスをしていただきました。そのようにして行こうと、今、思っております。今日も大事なお話をありがとうございました😊和顔愛語のほうがどれだけいいか痛感しております。
藤ノ木喜久様ご視聴、コメント、SuperTanks(懇志=お布施として)藤ノ木喜久様のお気持ち、確かに受け取らせて頂きました。ありがとうございます。藤ノ木喜久様の『自分自身を見つめる目』が、浄土真宗の言う『自覚』の意味です。『その目』が全ての始まりです。たとえば……短気な人は短気です。短気を直そうとしてもなかなか直りません。ならば、短気であることを自覚し、短気を起こしたその後のフォローをどうするか…短気を起こしたその相手に対して自分はどうするのか…そのことが最重要です。和顔愛語は…険顔憎語を自覚して初めて知ることが出来る自覚です。険顔憎語あってこその…和顔愛語なのです。南無阿弥陀仏合掌高科修
以前、会社員だったときに、上司や、先輩から、マイナスな言葉を言われたり、けなされたりしたときに心が暗くなり、うらむ心が生まれました。反対に、おまえは良い奴だ、大丈夫だ、頑張れよと言われたときは心からうれしく、頑張ろうとやる気が出てきました。言葉一つで人の心は良くも悪くもなります。言葉は本当に大事ですね。ありがとうございました。幸せなお話でした。合掌
とびなわ様ご視聴、コメントありがとうございます。マイナスな言葉。けなされる言葉。………その言葉自体は、マイナスで けなす言葉かもしれません。しかし、仕事で失敗すれば叱られます。飲酒運転でもしようものなら、それこそ とびなわ様の近しい方々は、とびなわ様をボロくそ、または激しく責める言葉を浴びせるでしょう。仕事で失敗して浴びせられる言葉は…『叱り』です。その叱りを受け止めて、次に失敗しないような自分自身になっていかなければなりません。飲酒運転で浴びせられる言葉も、当人への『しっかりしろ!キチンとしろ!』という、言うなれば『叱りと教育』です。耳障りのよい『甘い言葉』を『和顔愛語』と言っているのではありません。浄土真宗の法話は、前にもお話しを致したかと思いますが…自分以外の人が、どうのこうのという話をしているのではありません。貴方は『和顔愛語』で言葉を発していますか?どうなのですか?そう自身に問い続けて生きて行きましょう…というお話しをしております。『幸せな話』では、ありませんよ…とびなわ様。 『厳しい話』です。お釈迦様の説く仏教も親鸞聖人の説く浄土真宗も、共に『自身の覚悟』に行き着く教えです。合掌高科修
@@buddhism_japan 様お返事ありがとうございます。一つ気付きがありました。私は、他人に言われたことに恨みを抱いていました。しかし、私は、家内、子どもたちに同じ事をしていたのかもしれません。鬼の様な顔をして、嫌な言葉を吐き散らかしていたような気がします。
ありがとうございます。言葉で優しい顔になりますように、努力します。
中村友子様ご視聴、コメントありがとうございます。大丈夫です。努力しなくても「優しい顔」にはすぐなれます。「ありがとう」「ごめんなさい」この2つの言葉を使えれば簡単な事です。では、ありがとう・ごめんなさいは、どうすれば「私の内(なか)」から出てくるのでしょうか?これも簡単な事です。すべての出来事を一度自分の内で「当たり前ではない」と考えてみれば良いだけです。旦那様が毎日無事で帰宅してくる。このご時世です。歩いていても刺されかもしれません。電車やタクシーに乗っていても事故に捲き込まれてしまうかもしれません。頭上から工事の何かが落ちてくるかも、熱中症で倒れてしまうかも、自分で転んで大怪我をしてしまうかもしれません。行ってきます!と言って外出した旦那様が無事に帰ってくる保証など、本当は何一つ無いのです。と同時に、「お帰りなさい」と声を返せる「私」が居ることも喜ばねばなりません。なぜなら、台所で倒れていたなら「お帰りなさい」は言えないからです。自分も元気で無事だからこそ「お帰りなさい」が言えるのです。どうでしょう?回りを見渡して見れば、今まで「当たり前」だと思っていたことが「当たり前ではない」事に気づきませんか?この意識が実は「和顔愛語」の本当の意味です。だから努力より、無理やり頑張らなくても良いのです。ただ、すべてが、「当たり前ではない」と気づくだけでよいのです。どうか、その気づきを大切にして頂くことを切に願っております。合掌 高科 修
もうすぐオリンピックですが ロシアの選手の参加是非が話題になっています浄土真宗はこの問題にどう向き合い、考えているのでしょうか、国家間の問題とその中で苦しむ個人の立ち位置等本当に心悩むことです 気づきを与えていただければ幸いです
泉賢治様ご視聴、コメントありがとうございます。泉賢治様は一体何を期待していらっしゃるのでしょうか。泉賢治様が言う「気づきを与えていただければ幸いです」は、気づきを得たいとは申しません。ただ、他人の意見を聞きたいというだけです。浄土真宗は、まず、泉賢治様ご自身が、問題だと思うのであれば、泉賢治様ご自身が、どのように受け止め泉賢治様ご自身が、どのように考え泉賢治様ご自身が、どのように向き合い泉賢治様ご自身が、何をしたいのか泉賢治様ご自身が、何が出来るのか泉賢治様ご自身が、何をしなければならないのか泉賢治様ご自身が、自問自答し泉賢治様ご自身が、気づいていくのが浄土真宗です。「気づき」は他人に与えられるものではなく、泉賢治様ご自身が、「気づく」のです。 泉賢治様ご自身が「気づこう」と聞法しなければ、決して「気づく」ことは無いのです。泉賢治様ご自身が「気づいた」結果には、その「気づき」になった原因があったということです。南無阿弥陀仏合掌高科修
ありがたい法話でした。感謝 合掌🙏
もじゃさんの青メガネ様言葉って『大切』ですね。南無阿彌陀仏。合掌高科修
言霊を信じる様になりました。何か不安に思っても 大丈夫、大丈夫と 口に出すように心がけております。ただ 本当に辛い時は 涙を流しながら 言っております。(笑)
あか様私の座右の銘は…『男の甲斐性は痩せ我慢』です。私も…痩せ我慢しながら、泣きながら、大丈夫!と言っております。あか様。一緒です(笑)合掌高科修
和尚様 助けて下さい🙏🥺
水川玖蘭様「助けて下さい」その告白は受け取りました。しかし、水川玖蘭様自身が水川玖蘭様自身のことを語って頂けなければ、私はご推察したり、慮ったりすることしか出来ません。他人に話したくないこと…他人に語りたくないこと…人には一つ二つあります。でも、もし語れるのであれば、語って頂ければ有り難いと思っております。合掌高科修
和尚様返信~ありがとうございますm(*_ _)m改めて…初めましてです🙇♀️宜しくお願い致します🙇♀️和尚様は、公式ラインは、ないんですね?ここに書き込むと、皆様にも見られてしまうから…少し 書きにくいです🥺どうしたら、いいでしょうか…(ŏ﹏ŏ。)(o̴̶̷᷄﹏o̴̶̷̥᷅ )
水川玖蘭様申し訳ございませんが公式ラインはございません。どうしても相談したいということであれば概要欄にあるお坊さんの小話サイト内のお問い合わせのところからメールいただくことができます。もしよろしければメールしてください。合掌高科修
暗闇の中から、抜け出せません( ᵕ̩̩ㅅᵕ̩̩ )光が、全く見えないのです…💧💧
水川玖蘭様愛する大切な人…愛してくれた大切な人…ありがとうと言わなければならなかった人…ごめんなさいと告げなければならなかった人…その人を永遠に失ってしまったのでしょうか?それとも…病が自らを苦しめているのでしょうか?病が大切な人を苦しめているのでしょうか?水川玖蘭様のお言葉から、ご推察するしかありません。「暗闇の中から、抜け出せません。光が全く見えないのです」と語られる水川玖蘭様自身の「暗闇」が何なのか!水川玖蘭様自身の何が「暗闇」なのか!そのお言葉から慮るしか御座いません。語れないこと。語りたくないこと。人には確かにあります。ただ、もしよろしければ…水川玖蘭様自身のことを…水川玖蘭様の自らの闇を…語ってみられても良いと思っています。私に…合掌高科修
母親から、いつも怖い言葉を聞かされて心も顔も醜くなりました悲しいですまだ生きているけど毎日辛いです
梅本陵仙様悲しくても、辛くても、人は「その日」まで生きていなければなりません。なぜなら、自分の命を他人譲ることが出来ないからです。こんな人生嫌になった!死んでやる!こんな命はいらない!そう宣言したなら…その命を欲しい人はたくさん居ます。今難病で、今困難な手術で今余命を宣告され、愛する妻とお腹に居る子供の顔も見れずに年老いた母や父を残してまだ幼い子供を残して等々…その要らない命なら、俺にくれ!私にくれ!要らないンだろ!くれ!そう叫ぶ人はたくさん居ます。けれど、そのひとたちに命は譲れないのです。要らない命なのに。だから命は、自分の命はどんな苦しく辛いことがあっても「その日」まで生きなくてはならないのです。でなければ、先述した人たちに顔向け出来ないから。先述した人たちに申し訳すぎないから。合掌 高科 修
私は、59歳です。実家が、熱心な浄土真宗を信仰している家で育った者です。いろいろな宗教の人が誘ってきていろいろな宗教を学びましたが、今は、浄土真宗に帰ってきました。また、こちらの動画を通して浄土真宗を学び考えております。ひとつ質問をさせてください。魂とは、あるのですか?また、魂とは、何ですか?教えてください。
りんりんのおばあちゃん様ご視聴、コメントありがとうございます。「魂とは、あるのですか?」とのお尋ね…そのお尋ねの「魂」その魂が、霊的な人間の死んだ後の姿。死んだ後にも残る霊的なモノ。という意味でお尋ねならば…浄土真宗には、そういう魂の教えは無いとお話しを致します。浄土真宗の全僧侶は、皆々口を揃えて、浄土真宗には、そういう魂の教えは無いと申します。私ども浄土真宗は、亡くなられた方々、先達の生き様を、『大きな深い願い』と呼び、その先達達の『生きる』の積み重ねで現在があるという事実をしっかりと認識、気づいて生きて行きましょうという宗教宗派であります。魂という言葉を…気構え、気力、心の活力という意味で使うのであれば、魂という言葉はあるとお話しをいたします。例えば、『大和魂』『職人魂』等々以上が、浄土真宗の僧侶としての、お尋ねに対するお答えであります。よろしくお願い申し上げます。合掌高科修
言霊の体験は私にも有りますので、よく分かります。南無阿弥陀仏
マツタカエクコ様ご視聴、コメントありがとうございます。ご推察致すしか御座いませんが…たぶん…マツタカエクコ様の『言霊』と、私がこの動画でお話しを致している『言霊』とは、その意味合いが違っていると思います。マツタカエクコ様は、霊的なことを仰っておられるのではないのでしょうか…この動画での『言霊』は『言葉のチカラ』が、如何に力を持っているかの、その『強大さ』の方便として使っております。ご認知頂きたく存じます。南無阿彌陀仏合掌高科修
ありがとうございます
田中栄助む様
こちらこそ、ご視聴、コメントありがとうございます。
南無阿弥陀仏
合掌
高科修
師 高科修様
早々のお言葉心よ感謝申し上げます
自身で「受け止め、考え、向き合い、何が出来るか又どうするのか」と自問自答し「気づいていく」ことの
大切さを心にとどめ日々暮らしていきます
他の方の考え方、向き合い方などを聞くことで、その中から「気づくこと」・「得られること」が大変多く
また ありがたいことだととらえております このことも聞法とも感じております
このような思いでコメントさせていただきました
今後も視聴させていただき自問自答してまいります
南無阿弥陀仏 合掌
泉 賢治
泉賢治様
ご視聴、コメントありがとうございます。
『他の方の考え方、向き合い方などを聞くことで、その中から「気づくこと」・「得られること」が大変多く…』
との泉賢治様のお言葉。
他の方の話を聞く、聴いて他の方の考え方に触れる事で、ご自身が気づいていく事は、往々にしてあります。
しかしながら、他の方の考え方、向き合い方などを尋ねる、伺いたいのであれば、まずは、ご自身の考え方を伝えた上で聞いてください。
それが、他の方に対しての礼儀、礼節に、繋がってまいります。
と、同時に…先ず自分が無ければ、自分が気づくことは不可能です。
自分が無い気づき!…それを、世の中では、人真似!偽物!迎合!と呼びます。
泉賢治様の最初のコメントも今回のコメントも、そこに、泉賢治様の問題に対して、どう向き合って、どうしてくのかが、ございません。
つまり、泉賢治様ご自身のいないコメントです。
あるのは、泉賢治様の感想です。
泉賢治様の仰る聞法は、浄土真宗の聞法とはかけ離れております。
浄土真宗の聞法は、泉賢治様がどのように生きていくのか、どのように生ききるのかを自問自答していくのです。
その告白を聴いた上でないと、我々浄土真宗の僧侶は、お答えのしようがないのです。
ご認知いただだければ幸いです。
南無阿弥陀仏
合掌
高科修
和顔愛語‥もう一度家で言ってみます🎉
みすず木村様
ご視聴、コメントありがとうございます。
和顔愛語…
大切な『心根』であります。
ただ……
もっと大切なのは…
和顔愛語の心根よりも…
今!自分が『険顔憎語』
の言葉を発しているのか…いないのか…を『気づける力』であります。
この『気づき』が、自らを『和顔愛語』に導いてくれます。
南無阿彌陀仏
合掌
高科修
アッハハやね。あっぱれですよねんbyeジンナマ
ジンナマ様
ご視聴、コメントありがとうございます。
「あっぱれ」なお話しを致したつもりはございませんが……
あっぱれ とお感じ頂けたのだ…と受け取らせて頂きます。
南無阿彌陀仏
合掌
高科修
泣きそう
南無阿弥陀仏
村上 祥様
ご視聴、コメントありがとうございます。
泣きたい のならば
泣けば良い。
泣きそうならば
泣いてしまえば良い。
心が そう望むのならば、
涙を流すことに遠慮はいりません。
そして、ひとしきり泣いた後に…
流した涙の『正体』を考えるのです。
村上祥様が仰る『自分自身に問うています』とは、この行為をすることです。
南無阿彌陀仏
合掌
高科修
今日も配信ありがとうございます!
まさに、この事です。もう以前、自分の中では昔の事ですが、、、、、、立正安国論を学んでいた事がありました。
その中で、
阮籍逸才にして ほうとう さんたいす。 ドクアイハズカシメルコトヲモッテそれらの仲間をイケてる人達と呼び 礼節もって接する人を田舎 いなかもの と呼んだ。
また、神を祀る儀式を河原で髪を振り乱しながら行なっている事を見て当時の知恵ある人が司馬氏の治国が終わる姿だと言った (礼節を国を治める根本原理としていた当時の国だったので、言葉使いも祭り事もそのことから外れた事から この国は100年に及ばない) とか記されていた事を思い出しました。
門外の事で申し訳ないですが。
この阮籍という名の当時のエリートのお方は、汚い言葉を仲間たちで使う事で自分たちをエリート イケてる と言い 丁寧な言葉 礼節もって接する人を田舎ものとバカにしたそうです。
そして自分の親が亡くなった時、酒を何升だか飲みまくって泥酔していたとかいう方だったそうで
昔
習ったそんな事を フッと思い出しました。
簡単にコ◯してやる とか ◯ね とか、自分も心も言葉も顔つきもそうなっていったのが、ウンザリで辞めたのですかね。
険しい顔や、言葉が出てばかりの環境がもうたくさんだと思って。
未だに改まるのは、遠い道のりかもしれませんが、
土曜日は、自分の最初に住み始めたこの街のお寺に軍荼利さんが祀られているので荒々しい気持ちをなんとかしたいとか思いながらお参りしてきました。
逆効果?かもしれませんが、しかしそこのお寺さんで、いろいろなものを見て聞いてみてくださいとアドバイスをしていただきました。
そのようにして行こうと、今、思っております。
今日も大事なお話をありがとうございました😊
和顔愛語のほうが
どれだけいいか痛感しております。
藤ノ木喜久様
ご視聴、コメント、SuperTanks(懇志=お布施として)藤ノ木喜久様のお気持ち、確かに受け取らせて頂きました。
ありがとうございます。
藤ノ木喜久様の『自分自身を見つめる目』が、浄土真宗の言う『自覚』の意味です。
『その目』が全ての始まりです。
たとえば……
短気な人は短気です。
短気を直そうとしてもなかなか直りません。
ならば、短気であることを自覚し、短気を起こしたその後のフォローをどうするか…
短気を起こしたその相手に対して自分はどうするのか…
そのことが最重要です。
和顔愛語は…
険顔憎語を自覚して初めて知ることが出来る自覚です。
険顔憎語あってこその…
和顔愛語なのです。
南無阿弥陀仏
合掌
高科修
以前、会社員だったときに、上司や、先輩から、マイナスな言葉を言われたり、けなされたりしたときに心が暗くなり、うらむ心が生まれました。反対に、おまえは良い奴だ、大丈夫だ、頑張れよと言われたときは心からうれしく、頑張ろうとやる気が出てきました。言葉一つで人の心は良くも悪くもなります。言葉は本当に大事ですね。ありがとうございました。幸せなお話でした。合掌
とびなわ様
ご視聴、コメントありがとうございます。
マイナスな言葉。
けなされる言葉。
………
その言葉自体は、マイナスで けなす言葉かもしれません。
しかし、仕事で失敗すれば叱られます。
飲酒運転でもしようものなら、それこそ とびなわ様の近しい方々は、とびなわ様をボロくそ、または激しく責める言葉を浴びせるでしょう。
仕事で失敗して浴びせられる言葉は…
『叱り』です。
その叱りを受け止めて、次に失敗しないような自分自身になっていかなければなりません。
飲酒運転で浴びせられる言葉も、当人への『しっかりしろ!キチンとしろ!』という、言うなれば『叱りと教育』です。
耳障りのよい『甘い言葉』を『和顔愛語』と言っているのではありません。
浄土真宗の法話は、前にもお話しを致したかと思いますが…
自分以外の人が、どうのこうのという話をしているのではありません。
貴方は『和顔愛語』で言葉を発していますか?
どうなのですか?
そう自身に問い続けて生きて行きましょう…
というお話しをしております。
『幸せな話』
では、ありませんよ…
とびなわ様。
『厳しい話』です。
お釈迦様の説く仏教も
親鸞聖人の説く浄土真宗も、共に『自身の覚悟』に行き着く教えです。
合掌
高科修
@@buddhism_japan 様
お返事ありがとうございます。
一つ気付きがありました。
私は、他人に言われたことに恨みを抱いていました。
しかし、私は、家内、子どもたちに同じ事をしていたのかもしれません。
鬼の様な顔をして、嫌な言葉を吐き散らかしていたような気がします。
ありがとうございます。言葉で優しい顔になりますように、努力します。
中村友子様
ご視聴、コメントありがとうございます。
大丈夫です。努力しなくても「優しい顔」にはすぐなれます。
「ありがとう」
「ごめんなさい」
この2つの言葉を使えれば簡単な事です。
では、ありがとう・ごめんなさいは、どうすれば「私の内(なか)」から出てくるのでしょうか?
これも簡単な事です。
すべての出来事を一度自分の内で
「当たり前ではない」と考えてみれば良いだけです。
旦那様が毎日無事で帰宅してくる。
このご時世です。歩いていても刺されかもしれません。
電車やタクシーに乗っていても事故に捲き込まれてしまうかもしれません。
頭上から工事の何かが落ちてくるかも、熱中症で倒れてしまうかも、自分で転んで大怪我をしてしまうかもしれません。
行ってきます!と言って外出した旦那様が無事に帰ってくる保証など、本当は何一つ無いのです。
と同時に、「お帰りなさい」と声を返せる「私」が居ることも喜ばねばなりません。
なぜなら、台所で倒れていたなら「お帰りなさい」は言えないからです。
自分も元気で無事だからこそ「お帰りなさい」が言えるのです。
どうでしょう?
回りを見渡して見れば、今まで「当たり前」だと思っていたことが「当たり前ではない」事に気づきませんか?
この意識が実は「和顔愛語」の本当の意味です。
だから努力より、
無理やり頑張らなくても良いのです。
ただ、すべてが、
「当たり前ではない」と気づくだけでよいのです。
どうか、その気づきを大切にして頂くことを切に願っております。
合掌
高科 修
もうすぐオリンピックですが ロシアの選手の参加是非が話題になっています浄土真宗はこの問題にどう向き合い、考えているのでしょうか、国家間の問題とその中で苦しむ個人の立ち位置等本当に心悩むことです 気づきを与えていただければ幸いです
泉賢治様
ご視聴、コメントありがとうございます。
泉賢治様は一体何を期待していらっしゃるのでしょうか。
泉賢治様が言う「気づきを与えていただければ幸いです」は、気づきを得たいとは申しません。ただ、他人の意見を聞きたいというだけです。
浄土真宗は、
まず、泉賢治様ご自身が、問題だと思うのであれば、
泉賢治様ご自身が、どのように受け止め
泉賢治様ご自身が、どのように考え
泉賢治様ご自身が、どのように向き合い
泉賢治様ご自身が、何をしたいのか
泉賢治様ご自身が、何が出来るのか
泉賢治様ご自身が、何をしなければならないのか
泉賢治様ご自身が、自問自答し
泉賢治様ご自身が、気づいていくのが浄土真宗です。
「気づき」は他人に与えられるものではなく、泉賢治様ご自身が、「気づく」のです。
泉賢治様ご自身が「気づこう」と聞法しなければ、決して「気づく」ことは無いのです。
泉賢治様ご自身が「気づいた」結果には、その「気づき」になった原因があったということです。
南無阿弥陀仏
合掌
高科修
ありがたい法話でした。
感謝 合掌🙏
もじゃさんの青メガネ様
言葉って『大切』ですね。
南無阿彌陀仏。
合掌
高科修
言霊を信じる様になりました。何か不安に思っても
大丈夫、大丈夫と 口に出すように心がけております。ただ 本当に辛い時は 涙を流しながら 言っております。(笑)
あか様
私の座右の銘は…
『男の甲斐性は痩せ我慢』
です。
私も…
痩せ我慢しながら、泣きながら、大丈夫!と言っております。
あか様。
一緒です(笑)
合掌
高科修
和尚様 助けて下さい🙏🥺
水川玖蘭様
「助けて下さい」
その告白は受け取りました。
しかし、水川玖蘭様自身が水川玖蘭様自身のことを語って頂けなければ、私はご推察したり、慮ったりすることしか出来ません。
他人に話したくないこと…
他人に語りたくないこと…
人には一つ二つあります。
でも、もし語れるのであれば、語って頂ければ有り難いと思っております。
合掌
高科修
和尚様
返信~ありがとうございますm(*_ _)m
改めて…
初めましてです🙇♀️
宜しくお願い致します🙇♀️
和尚様は、公式ラインは、ないんですね?
ここに書き込むと、皆様にも見られてしまうから…
少し 書きにくいです🥺
どうしたら、いいでしょうか…(ŏ﹏ŏ。)(o̴̶̷᷄﹏o̴̶̷̥᷅ )
水川玖蘭様
申し訳ございませんが公式ラインはございません。
どうしても相談したいということであれば
概要欄にあるお坊さんの小話サイト内の
お問い合わせのところから
メールいただくことができます。
もしよろしければメールしてください。
合掌
高科修
暗闇の中から、抜け出せません( ᵕ̩̩ㅅᵕ̩̩ )光が、全く見えないのです…💧💧
水川玖蘭様
愛する大切な人…
愛してくれた大切な人…
ありがとうと言わなければならなかった人…
ごめんなさいと告げなければならなかった人…
その人を永遠に失ってしまったのでしょうか?
それとも…
病が自らを苦しめているのでしょうか?
病が大切な人を苦しめているのでしょうか?
水川玖蘭様のお言葉から、ご推察するしかありません。
「暗闇の中から、抜け出せません。光が全く見えないのです」
と語られる水川玖蘭様自身の「暗闇」が何なのか!
水川玖蘭様自身の何が「暗闇」なのか!
そのお言葉から慮るしか御座いません。
語れないこと。
語りたくないこと。
人には確かにあります。
ただ、もしよろしければ…
水川玖蘭様自身のことを…
水川玖蘭様の自らの闇を…
語ってみられても良いと思っています。
私に…
合掌
高科修
母親から、いつも怖い言葉を聞かされて心も顔も醜くなりました悲しいですまだ生きているけど毎日辛いです
梅本陵仙様
悲しくても、辛くても、人は「その日」まで生きていなければなりません。
なぜなら、
自分の命を他人譲ることが出来ないからです。
こんな人生嫌になった!
死んでやる!
こんな命はいらない!
そう宣言したなら…
その命を欲しい人はたくさん居ます。
今難病で、
今困難な手術で
今余命を宣告され、愛する妻とお腹に居る子供の顔も見れずに
年老いた母や父を残して
まだ幼い子供を残して
等々…
その要らない命なら、
俺にくれ!
私にくれ!
要らないンだろ!くれ!
そう叫ぶ人はたくさん居ます。
けれど、そのひとたちに命は譲れないのです。
要らない命なのに。
だから命は、自分の命はどんな苦しく辛いことがあっても「その日」まで生きなくてはならないのです。
でなければ、先述した人たちに顔向け出来ないから。
先述した人たちに申し訳すぎないから。
合掌
高科 修
私は、59歳です。実家が、熱心な浄土真宗を信仰している家で育った者です。いろいろな宗教の人が誘ってきていろいろな宗教を学びましたが、今は、浄土真宗に帰ってきました。
また、こちらの動画を通して浄土真宗を学び考えております。ひとつ質問をさせてください。魂とは、あるのですか?また、魂とは、何ですか?教えてください。
りんりんのおばあちゃん様
ご視聴、コメントありがとうございます。
「魂とは、あるのですか?」
とのお尋ね…
そのお尋ねの「魂」
その魂が、
霊的な人間の死んだ後の姿。
死んだ後にも残る霊的なモノ。
という意味でお尋ねならば…
浄土真宗には、そういう魂の教えは無いとお話しを致します。
浄土真宗の全僧侶は、皆々口を揃えて、浄土真宗には、そういう魂の教えは無いと申します。
私ども浄土真宗は、亡くなられた方々、先達の生き様を、『大きな深い願い』と呼び、その先達達の『生きる』の積み重ねで現在があるという事実をしっかりと認識、気づいて生きて行きましょうという宗教宗派であります。
魂という言葉を…
気構え、気力、心の活力という意味で使うのであれば、魂という言葉はあるとお話しをいたします。
例えば、『大和魂』『職人魂』等々
以上が、浄土真宗の僧侶としての、お尋ねに対するお答えであります。
よろしくお願い申し上げます。
合掌
高科修
言霊の体験は私にも有りますので、よく分かります。南無阿弥陀仏
マツタカエクコ様
ご視聴、コメントありがとうございます。
ご推察致すしか御座いませんが…
たぶん…
マツタカエクコ様の『言霊』と、
私がこの動画でお話しを致している『言霊』とは、その意味合いが違っていると思います。
マツタカエクコ様は、霊的なことを仰っておられるのではないのでしょうか…
この動画での『言霊』は『言葉のチカラ』が、如何に力を持っているかの、その『強大さ』の方便として使っております。
ご認知頂きたく存じます。
南無阿彌陀仏
合掌
高科修